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プロフィールにも書いたように進学校である日本の地方公立高校に通っていました。幼い頃海外経験もありもともと英語は得意だったので、海外の大学も視野に入れる事ができたのだと思います。日本のICUや上智、慶応のSFCなんか興味あるな、と高校一年生の頃はぼんやり考えていました。そんなこんなで、ある日数学の実力模試で0/200点をとったことがきっかけ(?)で、日本の大学受験恐怖症に。このあたりからアメリカ大学受験を本気で考えはじめました。高校二年生の秋頃です。
アメリカ大学受験を本格的に視野に入れ始め、TOEFLやSAT(英検一級も目標に勉強していました)の準備を始め、高校では部活動や学内活動、ボランティア、また全国レベルのスピーチコンテストなどに積極的に取り組みはじめました。アメリカでは、受験の時に良く見せようと、ただそのためだけにやみくもに課外活動をする生徒も多いのですが、アドミッションオフィスはその事をちゃんと見抜いています。その点、私の課外活動は自分が興味のある事ばかりだったので、ユニークだったかもしれません。放送部でドキュメンタリー番組を数本製作し、コンテストで賞をいただきました。クラスの文化祭でも、何かと映像制作に手を出すようにしました。ボランティアも得意の英語を生かし、NGO「フォスターペアレント」という世界の貧しい国々の子供たちと日本の大人「里親」を結ぶ手紙の翻訳ボランティアや、アジアの子供たちを日本に受け入れるNGOの通訳ボランティアをしていました。英語のスピーチコンテストでも全国優勝を果たし、高校二年生と三年生の夏はアメリカでホームステイや大学のプログラムなどに参加する事ができました。色々な事がトントン拍子にうまくいったのも事実ですが、私が興味のある「映画・映像」そして「国際交流」という二つの大きな軸に活動を絞ることで、自分のパーソナリティーが統一された、ユニークな物として浮き上がる事ができたのではないか、と思います。
高校三年生の夏あたりから、大学の願書を取り寄せはじめ、受験する大学のリストを決め、必要な書類や締切を書いたチェックリストを作りました。締切はほとんど翌年の一月あたり(スタンフォードのみ12月半ばでした)だったので、夏・秋と願書の準備にかけられます。同時に、TOEFLやSATの受験も数回行いました。TOEFLとSAT Iはそれぞれ二度、SAT IIは一度受験しました。最終結果は以下のとおり:
Verbalは平均から行くと低いのですが、日本人なのでこれが限界でした。まあなかなか満足の行く結果です。このような結果も踏まえて最終的に受験校を13校に絞りました。Reach (ちょっと難しいかな?というハイレベルの所)、妥当かな?と思われる所、そして、ここは安全だろう、というSafetyの三種類から選びます。
高校三年生の秋から冬にかけて、エッセーを数本練りに練りまくる(サンプル)。各大学のRequirementsやEssay Topicと照らし合わせ、どうすれば自分らしさが一番よく映るかを考えて、願書を一つ一つ作り上げました。日本の大学受験勉強は既に放置していたのですが、高校の日々の成績は大切なので、中間や期末は頑張って勉強を怠らないようにはしていました。そうして冬、提出。
願書提出後も色々とあります。最終結果がわかるのは4月ぐらいですが、その前にちょこちょこ大学からメールが良く来ます。「面接をしたいのでスケジュールしてください」や「○○の書類を追加で送ってください」、また「まだ最終結果ではありませんが、あなたのアプリケーションはとても素晴らしかったので、メールしました」などという素敵な(内々定的な)メールが来たりもする。現にUniversity of Virginiaからはこんなメールが来て、かなり嬉しかった覚えがあります。
とにかく、日本の高校が卒業式を終え、回りの友達が大学受験をし、大学合格発表があった後も、ドキドキの毎日は続きます。そして三月後半から四月にかけて、ぽつぽつと結果が届き始め…
合格*********************************
補欠*********************************
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Tufts University
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Williams College
不合格******************************
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Harvard
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UCLA
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Dartmouth
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Amherst
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UC Berkeley
スタンフォードは四月一日に来たので、エイプリルフールかと思いました。何気なくメールを開いてびっくり仰天。あれは嬉しかった。それにしても、結果と大学ランキングは、イマイチ一致していません。ほぼ第一希望だった(そして「Reach」の範囲だった)Stanford, UPenn, Swarthmoreの三校に合格してしまい、「妥当かな」もしくは「ここは安全だろう」と思っていたような所が不合格でした。結果は本当に予測不可能ですし、だからこそワクワクするような大学受験だったのかもしれません。 |